HSP。番外編 2。月光さんというネームの由来。

モンゴメリの世界。

皆さんは赤毛のアンをご存知でしょうか。

私は小さい頃からずっと、今に至るまで赤毛のアンが大好きです。

溢れ出る好奇心により、もちろん、原作者モンゴメリについて調べたり、図書館で赤毛のアン写真集を何回も借りて来たり、赤毛のアンシリーズを飽きもせずに何度も何度も読み返して来ました。

時々、赤毛のアンの詳しい人に出会ったりすると、マニアックなエピソードについて、

ものすごく熱く語ってしまうくらい大好きだったのです。

「青い城」との出会い。

そんな私が、三年ほど前、モンゴメリ原作の別な本と出会いました。

それは、「青い城」という一冊読みきりの物語です。

主人公は、29歳の独身女性。

結婚できる見込みも、結婚相手と出会う見込みすらない、これまでの人生、ただ母親に抑圧され、生きる喜びも希
望もなく、ひたすらに、1日を過ごすためだけに生きている、暗〜いヴァランシーが、ある日、自分の命が余命い
くばくもないと知り、これまでの自分をブレイクし、ど
んな変化を遂げたか、と言う内容の、現代風に言うならば、「毒親本」です。

100年も前に、こんな毒親について書かれた本があったとは、非常な驚きでした。

さまざまな抑圧から解放されたヴァランシーは、驚くほど見た目も、感じ方も、全てが変わって行く姿はとても魅力的でした。

その変化を遂げたヴァランシーに、あとでつけられた愛称が「月光さん」だったのです。

ヴァランシーから受けた影響。

私もこれまで、自分の生きづらさをごまかし、なんとか非HSPに合わせようと苦労して生活してきたのですが、ヴァランシーと出会い、彼女の痛快な変化に接して、自分もヴァランシーのように、自分の本当の姿と向き合い、少数派の自分が感じる不快な状況を我慢するのをやめて、できる限り自分のその時々の感覚に寄り添うことで、自分を幸せにしてあげたい、と思いました。自分を幸せに出来ないのに、誰かを幸せにするなんて無理だな、と。

日本人は、とかく人に迷惑を掛けないように、
自分の気持ちをはっきり言うのは礼儀に反する、と言う文化があるように思います。
それも、奥ゆかしい、良い文化だとも思います。
でも、自分の生きづらさを押し殺して、我慢して我慢して生きてしまうと、いつしか、自分もこんな辛い中で頑張っているんだから、みんなも頑張るべきだ、と言うような、間違った気持ちを持つようになっている自分に気付いてがっかりした事がありました。
だったら、まずは、自分が必要としているもの、必要とする環境やアイテムをキチンと自分に与えてあげて、自分が幸せであるように意識する事で、自分の気持ちが満ちた時、本当の意味で誰かの幸せを願えるようになりたいと思いました。

最初の頃は、特別なアイテムや、人より手がかかる自分の体や気持ちに罪悪感を感じることも多々ありましたが、もうすぐ死ぬと思ったヴァランシーが思い切ってやったように、自分にウソをつかないで、自分が本当にしたいこと、欲しいものを選ぶ努力を続けました。

これまでブログで扱ってきたアイテムや、自分の感覚の心地よさを無視しない事などです。
勇気が必要でした。
それに、ちょっとお金もかかりました。
それでも、ずっと怖れに囚われていた気持ちが、ちょっとずつ自分に対して開き始めて、(私は、誰よりも私の事を考えて対処してくれるから、怖がらなくても大丈夫)と思えるように。
そして、不調が続いても、あまり動揺しなくなってきました。
家族も、相当理解を示してくれました。

最初は、「私」に与えても与えても、次から次へとアイテムや休息、心地よい事を果てもなく欲しがるように感じていましたが、与え続けて、三年が過ぎ。。

遂に、心の奥底から、満足感や、安心感を感じている時間の方が、「生きづらい」と感じている時間を超えるようになったのです。

自分のこの経験から、自分が単にワガママな人間だったのではなく、本当に本当に、ただ人より五感が過敏で、沢山のお世話が必要で、でも、それを辛抱強く満たしてあげれば、いつかは(もちろん、一人一人程度は違うと思いますが)ちゃんと満足して、誰かの幸福や、誰かの助けになれるかな、なりたいな、って思えるようになるんだ〜、と今、実感しています。

そういう意味で、「青い城」という物語、そしてヴァランシーに出会えたことは、自分にとって転機になりました。

ネーム。

ネームを「月光」としたのは、ヴァランシーとの出会い。

そして、HSPの自分にとっては、「太陽」はまぶしずぎる。

でも光がないのは怖い。

でも、月光は、淡く、柔らかく、優しく照らしてくれる。

自分も、そんなHSPになれたらいいな、そんな願いを込めて付けました。

同時に、皆さんにもしも機会があったら、「青い城」のヴァランシーに、会ってみて欲しいです。